日ユ同祖論とは、その名の通り『日本人とユダヤ人(古代イスラエル人)の祖先は同じである』という説です。
『何言ってんだ』と思う方も多いでしょうが、まずは日本とユダヤの共通点をご紹介します。
が、その前にユダヤ人は歴史的に少し複雑なので、まずその説明から。
ユダヤ人とは、国籍のことではなく『ユダヤ教を信仰する人』を指します。ですので、世界中に○○人のユダヤ人が大勢います。
日ユ同祖論で語られるユダヤ人とは、古代のイスラエル人の流れを汲むユダヤ人を指します。
ハビル人→ヘブル人→ヘブライ人の時代を経て、イサクの子ヤコブの時代にヤコブは『イスラエル』へと改名をします。これが『旧約聖書』にも登場する『イスラエル民族の父』であり、彼の4人の妻が産んだ12人の息子がそれぞれ一族の長となります。これが所謂エルサレムの12支族です。
※厳密には、ヤコブの息子の『レビ』は祭祀を司る専門職だったので、支族には数えず、ヤコブの息子ヨセフの2人の息子『マナセ』と『エフライム』を、『レビ』と『ヨセフ』の代わりに数える。
出だしからちょっとややこしかったかもしれませんが、要するに、
歴史の中で消えてしまった10支族の中の1支族が、実は日本に渡って来た私たちの祖先では無いか?
というお話です。
とりあえず呼び名は時代ごとに違えど、彼らはユダヤ人の祖先なので、ここでは今後『ユダヤ人』や『古代イスラエルの民』という呼び名で統一することにします。
日本とユダヤの共通点①
意味不明な民謡もヘブライ語に訳すと・・・
各地方に伝わる民謡もヘブライ語に訳すと意味が分かる不思議。
ソーラン節
ソーラン節は、北海道の日本海沿岸に伝わる漁師民謡ですが、何故『ヤーレンソーラン』というのか?その言葉の意味を知っている人はいないそうです。しかし、これをヘブライ語に翻訳すると、『ヤーレン』は『喜びを歌う』、『ソーラン』は『独りで歌う者』を意味します。
『チョイ・ヤサエ・エンヤン・サー』も、『たとえ嵐が来ようとも、真っ直ぐに進め』という意味になるなど、古代イスラエルの民が約束の地を目指すストーリーが表現されています。
こきりこ節

こきりこ節-photolibrary
日本最古の民謡とも言われる『こきりこ節』も同じくヘブライ語に訳すと、
『こきりこ(こつけれっこ)』=『律法の本』、『帰郷録』
※『こつ khok』には、イスラエルの民が約束の地に帰郷するという意味もあります。
『デデレコデン』=『ダン(デン)部族が新らしい地へ移動する』という意味になるなど、こちらも古代イスラエルの民が約束の地を目指す内容の唄になっています。
君が代
民謡だけでなく、君が代までヘブライ語に訳すと意味が分かります。
こちらもまた、古代イスラエルの民が約束の地を目指すストーリーが描かれています。
またかごめ唄も。
『約束の地』って何の事?
日本各地に伝わる民謡の多くが『古代イスラエルの民が約束の地を目指す唄』だったとしても、そもそも『約束の地』とは何の事なのでしょうか?
イスラエルの民にとって『約束の地』とは、カナンの地(現在のパレスチナ)を指し、ここはユダヤ教の唯一神ヤハウェがアブラハムとその子孫に約束した土地でもあります。
※ちなみにイスラム教もキリスト教もユダヤ教から派生した宗教です。
ですので、イスラエルの民にとって神との約束の地、カナンは特別な場所なのです。それが今日まで続くイスラエルとパレスチナの紛争の原因でもあるのですが・・・。
日本とユダヤの共通点②
神道とユダヤ教が似ている
日本の神社に参拝する際、参拝者は柄杓で水を汲み手と口を清めますよね?実はユダヤの神殿の入り口にも『洗盤』と呼ばれる青銅で出来た器があり、礼拝の前にそこで手や足を洗って、身を清めたとされています。
更に『鳥居』も古代ヘブライの建物(玄関口)とそっくりの構造をしており、ヘブライ語アラム方言でトリイとは「門」を意味するそうです。
また、神社によくある狛犬ですが、こちらも古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあったと言います。
狛犬は想像上の生き物と言われていますが、そう言われればめちゃくちゃライオンに似ているような・・・。
この他にも、伊勢神宮に見られる石灯籠には「ダビデ王の紋章」と言われた六芒星が刻まれていたり、賽銭箱や日本の鳥居が赤い理由、神殿の構造、神事などなど、ユダヤと日本の関係性があったと思われる類似点がかなりあります。
失われた十支族とは?
最初に『イスラエルの失われた十支族が日本人の祖先』という話をしましたが、そもそも失われた十支族とは何なのでしょうか?
それを理解するにはまず彼ら、古代イスラエルの放浪の歴史を少し理解する必要があります。
古代イスラエル民族の放浪の歴史
ペルシャ湾の近くのウルに住んでいたユダヤ人の祖先は、カナンの地(今のパレスチナ)を約束する神ヤハウェの声を聞いたアブハラムに導かれてカナンへやってきました。これが旧約聖書のはじまりで、同時にここからイスラエルの歴史がはじまります。
その後アブラハムの孫、ヤコブ(イスラエル)の時代に飢饉が原因でユダヤ人はエジプトへと移住しますが、その子孫はエジプトで奴隷にされます。約400年にも続いた奴隷の時代にモーゼが出現し、ユダヤ人を率いてエジプトを脱出します。
エジプトで奴隷にされている間に、カナンの地にはペリシテ人(パレスチナ人)が住み着いており、ユダヤ人はシナイ半島を40年間砂漠を放浪し、200年程かけて一帯を征服して行きました。
その後、サウルがイスラエル王国を建国し、2代目のダビデ王の時に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされました。しかしダビデ王の死後、イスラエル王国は南北に分かれ、北のイスラエル王国(十支族)はアッシリアに滅ぼされ、十支族はそのままアッシリア帝国へ連行( ニネベ捕囚)されてしまいます。
その後南のユダ王国(二支族)も新バビロニアに滅ぼされてしまいますは捕虜としてバビロンに連行されます(バビロン捕囚)。
その後のユダヤ人
南北に国が分かれ、それぞれに滅ぼされたイスラエルの王国ですが、南のユダ王国で『バビロン捕囚』としてバビロンに連行された人々は、その約50年後に新バビロニアがペルシャに滅ぼされると解放されます。
しかし一方で、アッシリアに滅ぼされ、捕囚された筈の十支族のその後の行方が記録に残されていません・・・。
失われた十支族はどこ消えたのか?
イスラエルでは、失われたイスラエル10支族の探索と帰還を図るため「アミシャーブ」というイスラエルの国家機関が設立され、既にアミシャーブによってアジア各地で『十支族の末裔』が確認されており、中にはイスラエルに帰還した例もあります。
アミシャーブによれば、日本にも十支族の末裔が来日し、多大な影響を与えた可能性が高いと見ているようです。
『日ユ同祖論』肯定派の論拠は様々で色々な説があるのですが、概ね『東へ東へと移動した』という意見は一致しています。
その他色々な類似点や説
・神武天皇までの系図と、エフライム族の系図の酷似
・旧約聖書、エゼキエル書第8章16節の記述から『ユダヤ教には太陽信仰があった』とし、太陽の登る方角、すなわち東方を目指して日本へ辿り着いた。
・大和朝廷の「ヤマト」は、ヘブライ語アラム方言では「ヤ・ウマト」と分解され、「神の民」という意味になる。
などなど、こじつけと思えるようなものから信憑性の高そうなものまで様々です。
日本史上最大の謎『秦氏』
日本史で、『〜氏』というとみなさんはどの一族が出てくるでしょうか?藤原氏?蘇我氏?物部氏?いずれも、日本史上では有名な一族ですが、最も多くの人口と広い分布を誇った一族は『秦氏』だと多くの学者に言われています。
朝廷の蔵を管理し、大和(やまと)王権の財政をつかさどる一方、新羅系の技術者を擁して鋳工・木工などの各種技術部門の主導権を握り、鉱山の開発や灌漑(かんがい)・土木事業を推進するなど殖産氏族としての活動が顕著である
引用元:日本大百科全書(ニッポニカ)
他にも秦氏は、多くの神社を作ったり、養蚕,機織の技術にも優れており、日本の渡来人の中でも最強の技術者集団でもあります。
通説では一応『朝鮮からの渡来人』とされていますが、歴史の表舞台になかなか名前が出てこない秦氏には謎が多く、いまだにその出自が明らかにはなっていません。
そんな秦氏にもユダヤ人説があり、簡単に言うと『朝鮮半島経由で渡来したユダヤ人』であるという説です。
秦氏が建てたとされる神社には『伊勢神宮の外宮』『稲荷神社』『宇佐八幡宮』などが挙げられ、それぞれにユダヤ教との共通点も見られます。
aminのまとめ

というわけで、『日本とユダヤはめっちゃ似てるから、ユダヤが日本人のルーツかも?』という話を長々と致しました。うまくまとめられたかどうか分かりませんが、これでもかなり大まかなんで興味がある方はご自身でお調べ下さい 笑。また、『日ユ同祖論』とは反対に、日本にキリストやモーザが学びに来たという『逆 日ユ同祖論』というものもあります。こちらはかなりスケールの大きな話(スピルバーグも真っ青!)ですので、余力がある時に書けたら良いかな・・・。
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